カラミッチ・・・あいも変わらず元気ですね
彼女と共に世界を目標に戦っていた日々は、遥かに昔。
最近は思い返す事も無くなってきた。
でも・・・NAKAGAWAを見ると・・・
彼女との出会いは1999年の冬にまで遡る。
現在はシマノで活躍する黒ちゃんの紹介。
黒ちゃんは、マビックでも活躍していたから、自転車界では仕事が出来る男として有名。
そんな彼が彼女を紹介してきた。
手足が長くて、お尻が小さな彼女を初めて見たときに、「彼女とならオリンピックに行ける!」
直感・・・
運命・・・
宿命・・・
そんな思いをミックス状態で感じた。
生きてて何度か同じミックスを感じた事があるんだけど、競輪で活躍している小嶋君や、坂上兄。ロードの広瀬おにいちゃん・・・
自転車の乗り姿を見る前に「こいつら凄いな~」って感じちゃう。分かっちゃう。
話ししてるとその子の生い立ちとか、分かっちゃうじゃない。親御さんの愛をいっぱい受けて育ったんだな~とか。
で、カラミッチも大正解。
答えが出るのには、4年もかかったけど・・・
黒ちゃんはたぶん・・・ちょっと・・・カラミッチに「ホの字」だったんじゃないかな?
って言っても、この頃の彼女は向日葵みたいに眩しくて、出逢う人の多くを自分のファンへと取り込んで行った事を覚えている。
勿論僕も彼女のファンに。
カラミッチのオリンピックバイク
彼女のオリンピックバイクはNAKAGAWA。
彼女が乗りたいって言った訳じゃない。僕が勝手に決めた。
先にピストバイクをNAKAGAWAで製作して乗っていたんだけど、その走りを見て、彼女にはNAKAGAWAだって感じた。
当時の僕たちにはスポンサーなんて無くて、自分たちで自活しなきゃなんない。
世の多くのスポーツ愛好家達から見れば当たり前の話しなんだけど、少々レベルが高くなってきて、海外遠征や合宿なんかが重なってくると、援助無しではかなり苦しい。
でも・・・スポンサー無し。
2003年には既に強くて強くてしかたなかった彼女。
当然そのレベルに合わせた活動が要求される。
もうお金なんか全然残っていなかった。
預金0
借金Tanto・・・
でも後1年でオリンピック。今更辞められない。
で、ある日NAKAGAWAの中川さんに相談してみたの。
「お金は無いんだけど、最高のNAKAGAWAでオリンピックに行きたい」ってね。
そしたらNAKAGAWAさんが、かん高い声で「ガンバレ」って答えてくれた。
で、出来上がってきたのが写真のNAKAGAWA。
助けて~
助けてくれたのは、中川さんだけじゃない。
ホイールは新家工業の鉄沢さんにお願いした。
当時50kgの超軽量体型の彼女にピッタリのホイールを組めたのは僕じゃなくて、鉄沢さんだった。
もう完組の時代に入っていたけど、手組のホイール。
これは僕のセレクトで無く、彼女の要望。
自転車に関して、そんなにうるさくない彼女からの、唯一の要望だったんじゃないかな?
チタンのスポークだとか、アルミのニップルだとか、さんざん好きなオーダーをして・・・
「お幾らでしょうか・・・」
「いいよ!会社には話してあるから、頑張って」
ウルウルと涙腺が緩みそうになりながら、「ありがとうございます。スペアホイールもお願いします」
って、お願いした事を覚えている。
ブレーキレバーは、その態度と正反対で手が小さい彼女の為に、小細工。
小さな芋ネジを仕込んで、15mmほど手前にセット。(写真をよ~く見るとわかります)
細かなセッティングには、森幸春師匠を巻き込んだ。ツールドのとにゲストで来て貰い、3日間彼女の走りを観察してもらった。
「成田君・・だいたいは良いんだけど、ちょっとサドルを前に出したほうがいいんじゃなかな?」
これでセッティングは完璧。
自転車界の師匠に3日間つきっきりで、見て貰ったんだから。
次はトレーニング
最高のトレーニングをさせたい。どうしたらいいんだろか?
何故だか僕は三浦恭資さんに、電話した。
で正直な相談。
電話の翌週、KINANチームの合宿が僕たちの拠点、内灘で慣行された。
多忙な時間をさいて、三浦さんが来てくれたんだ。
あの頃は、みんな熱かった。
熱い思いで相談すると、熱い思いで答えてくれる。
三浦さんは特に熱かった。その情熱は今でも健在で、うかつに近づくと火傷するから要注意!
みんなカラミッチのファン!
レースにはサポートが必要不可欠なんだけど、僕のお店に来ているお客さん達が手伝ってくれた。
オリンピック選考会直前に、自転車競技連盟が選考基準は「オリンピック参加枠を確保した者を代表とする」って、発表・・・
選考会を目前に彼女はふさぎ込んだ・・・
こんときは、お客で友人のAUS人クリスが大活躍。
UCI(国際自転車連盟)のサイトを熟読し、二人枠の可能性を見いだした。
現在アンチドーピング協会で活躍する細川登喜治君は、フランスまで問い合わせもしてくれて、その日現在日本に2人枠有ることを確認。
何とか彼女のモチベーションを保った。
選考会当日は、やはりお客の室木さんが協力してくれた。
細かな作戦は、無線を持っていない僕達には人海戦術が唯一の戦法。
室木さんが携帯電話で送ってくれる貴重な情報を駆使し、選考会を乗り切った事を昨日の事のように思いだします。
残った物
オリンピックから6年の歳月が流れた。
オリンピックは彼女に、そして僕に何を残してくれたんだろう?
この撮影時、彼女に聞いてみた。
「オリンピックって何だったんだろうね?」
「何だったんでしょうね・・・でも、行けてよかった。本当に!」
そんな答えが返ってきた。
オリンピックが僕に残してくれた物・・・
それは彼女のこの一言かもしれない・・・
2010年3月15日 金沢芸術の森にて撮影
◆唐見実世子(カラミミヨコ1974年9 月6日生まれ )
広島県広島市出身の元自転車プロロードレース選手。
広島市立美鈴が丘高等学校、中京女子大学卒業後、カツリーズサイクルに入社。1999年のアジア選手権で3位に入り、以降国内で多くのタイトルを獲得。2004年にはアテネ五輪にも出場。2005年より活動拠点をイタリアに移し、日本人女子としては2人目のプロロード選手として、サフィパスタ・ザーラ・マンハッタンに所属。欧州各地や国内を転戦。世界選手権にも出場。2006年にはアジア大会に出場し4位入賞となる。2007年よりチームサッカレッリに移籍。2008年日本に帰国し、レース活動を続ける。
2004年 アテネオリンピック41位
主立った戦績は2009年全日本個人タイムトライアル2位が最後となった。
本当によく頑張りました!ハナマルをあげます。。。
現在は地元広島に戻り、進学塾の先生をしている。
う~ん 良い話しだなあ
涙が出てきた・・
エ~ンエ~ン(涙)
この頃は、標準で携帯電話が止められておりました。
更にオプションでガスとか電気が・・・・・
そんなオプションは要らないなあ・・(笑)
燃え尽きたその後に、何らかの道が開かれていないこの国の自転車環境。進学塾の先生でなく、後輩を育て指導するに相応しい人物であり経歴だと想うのは私だけではないはずなのに…。
深沢さん
僕の知っている深沢さんかな??
世界を見てきた選手のリタイア後って、どんなもんなんでしょうかね?
自転車界に残る人は僅かかな・・・
それが現状。
僕はリタイア後残っちゃったけど・・・
違う世界も見たかったかな。
正直
こんにちは
この間の全日本でカラミちゃんと気がつがす会話していました
久々すぎて向こうもわからなかったでしょうきっと
私の今の目標はマスターズ世界選ロード日本人初の出場です
何年か前に骨盤粉砕した私にはまだまだ走りの課題、
遠征の工夫(荷物をなるべくもたないとか)課題がてんこもり
でもはってでもと走ってると学べることもたくさんあります
指導者は何も縛りや規制の激しい競技連盟傘下でやることはないんじゃないかしらん
ただ速いだけなら練習できる丈夫な体があれば誰でもできます
しかし走るセンスは生まれ付いたもの
私が出会ったロード選手のなかではカラミちゃんは本物でした
底辺がきちんと広がらないとセンスのある選手はうまれない気がします
そんな底辺の拡大の助けは大きなめだつ所にはないきがします
トップにたったことのない私でも私より初心者には走る楽しさや走り方を教えられます
きっとどこかにカラミちゃんを必要としている場所があるはずです
それがいつかみつかったらよいですね
私はいまでも日本で一番センスがあるのはカラミちゃんだと思っています……
長い人生、速さを競えないばばあになっても
彼女とレースの中で会っていたいとも思ッちゃいます(勝手だなあ)
……★
マスターズで、チームジャパン!ムツミちゃんが監督で、ムツミジャパン!
みごとに皆さんマスターズ世代にはいってきましたね~
でも、まだ自転車を愛している・・・
ちょっと不思議で、ちょっと嬉しいです。。。