2008年9月11日~15日 5日間全6ステージ
1998年以来のツールド北海道。10年ぶりだ・・・
間何度と無くいくつかのチームから話をいただいていたが、地元のサイクリングイベントである、ツールドのと400と、毎年完璧に重なっているため、くる事ができないでいた。2004年のオリンピックで、のと400の仕切りを、石川県理事長にお願いして以来、さほどのとで僕の必要性も無くなった事を感じ、それならばとい切って、今年春から誘っていただいていた、NIPPOENDKAのメカニックとして、戦いの舞台へと戻ってきた。
9月7日釧路へ
中部八県大会ロードレースが早朝より内灘町白帆台町内でクリット方式で行われていた。少年ロードを終え、成年がスタートしたのを見届けて、小松空港へ急ぐ。時間ぎりぎり・・・フライトの10分前にチェックイン。ヘッドスライディングは慣れている~
チーム集合の地、釧路へと向かう。
小松釧路は意外と早い。お昼には到着・・・って、俺、この後どうすんだっけ?
泊まるところも含めて、スケジュールを全く確認していなかった事に気づく。監督に連絡し、ホテル等の確認。レンタカーをピックアップし、ホテルにチェックイン。再び空港へ向かいマッサー宮島と、2人のイタリアーノをピックアップした時点で時計は22時をまわっていた。
北海道入り後初の食事は、売店で購入したから揚げと筋子のおにぎり&札幌ビール*北海道限定のクラシック!美味い~
更に日付を超え、大門監督をはじめとする、日本人選手がチェックイン。いわきクリテを走り、そのまま陸送&フェリーで釧路港入り。長い一日がやっと終わり、長いラインレースが始まろうとしていた。
9月8~9日帯広郊外
8日朝から、徹底的にコースの下見&試走へと入る。朝一番に釧路から今回のスタート、帯広へ移動。その途中でもコースを走る。
ほとんどのコースは、過去に使用されたコース。大門監督の頭には、ほとんどのコースレイアウトが入っている。その中でも、危険箇所、間違えやすい所、そして今回の要となりえるポイントを幾つかセレクトしてまわった。
僕もメカニックの時間が許す限り同行し、細かなギヤ比やホイルやタイヤのセレクトを、メモ帳に記載。宿に帰ってから、大門監督と打ち合わせし、選手一人一人に確認を取っていく。
帯広郊外の公共の宿での2泊。スペアバイクの組み替え、ホイールの用意と忙しく時間が過ぎていった。
写真は、宿からの景色。北海道に来ている事を実感する一枚。
9月10日スタート会場へ 帯広市内
郊外のロッジから、スタート会場である、帯広中央公園近隣の近代的なホテルへと移動した。大門監督は監督会議へ、
マッサー宮島は、マッサージは勿論の事、買い出しや、補給の用意に走り回っている。恐らく仕事量では、マッサーが一番大変だ。
僕も遅れて届いたタイヤやホイールの用意、そして最終日までのノンパンク・ノントラブルを目標に最終調整を・・・・
しかし10年のブランクは、少々大きいようで、どうも段取りが悪い。他のチームがどんどん作業を終えていく中、薄暗い街灯をたよりに、夜中まで作業が続いた。僕には、必殺の早起きがある。少々の作業を残して、後かたづけ・・・22時・・・・カップラーメンにお湯を注いだまんま、寝てしまった。札幌クラシックビールは飲んだけど!
9月11日 第1ステージ 帯広~標茶町 215km
誰よりも早く起きて、残りの作業をし、ホテル入り口に陣取り・・・・
儀式の如くコルナゴを並べ、チェーンに注油。
準備は整った!
今回初めて投入されるコルナゴの来期モデルCT-1!(黒いフレーム)NIPPOの機関車トーマス佐野が駆る。これは、僕が北海道入り後、組んだ物。剛性の高さが、レンチを交いして手に伝わる程だった。恐らく高速域での集団走行では、異次元のポテンシャルを発揮する事になるであろう・・・特にヘッド廻りと、フロントホークは、特質!
僕のもう一つの仕事は、コレ!チームカーへのデコレーション。貸与されるレガシーに、レギュレーションに従い、ステッカーを施していく。これもレースを盛り上げる、大切なお仕事。NIPPO以外に、AISANのステッカーも用意させて頂いた。
スタート1時間程前にコース入りし、準備に入る。選手が自分で貼ったゼッケンの位置では、スポンサーが隠れてしまうので、着け直す監督。スポンサーへの心遣いからも、プロチームの意識を感じる。
通年より暖かい気候に恵まれた今年の北海道!
暑い・・・・
この日世界戦代表が発表された井上君とトーマス佐野は、OUTWETのLP-1とLP-2をそれぞれセレクトしていた。
時間ね~!!!
そんな時、グラグラグラ・・・足元が揺れる。夕べの酒が残っていたか、それとも加齢による衰えか?さてはジョセfヒーノの予言的中か・・・なんてはしゃいでいたら、梅丹の水谷君にたしなめられた~
*この日、震度5弱の地震が北海道を襲った。
スタート直前の地震で、驚いていたガロッファロ(左)とミオリン(右) 2人共に、大きな地震は初めてだったそうだ。
北海道史上最も最長の215km・・・・揺れそうです!
9時30分 いよいよ5日間の熱い戦いの幕開けです。スタート直後から、北京オリンピックポイント入賞のブリジストン飯島選手と鹿屋内間がスタート直後から揺り動かした・・・ロングエスケープを敢行。
この動きにより、BSのエースが飯島選手以外である事が判明。NIPPOは集団の中で、力を温存する作戦にでる。
スタートより約100km弱、最初の山岳ポイントでレースが動き出す。ヴァンヴリエの選手が大集団より単独のエスケープを皮切りに、集団のスピードがあがり、動きが活発に。日本最速のスピードマン西谷が反応し、2-2ー集団の形態になる。
先頭から内間が脱落後、飯島選手も減速。大門監督からは、一人一人に細かな指示が出される。そしてミオリンがヴァンヴリエの選手、北京代表の宮沢選手と共に集団から飛び出す。これにより先に飛び出していた2人と合流。これで5人のエスケープ集団が完成。ヴァン2 NIPPO1 梅丹1 AISAN1
ゴール前では、唯一2名を送り込んだヴァンのレイテンベルクがスプリントを制した。
今日一日のレースを見て、ヴァンのチーム力が目立つ結果となる。
ヴァンはオランダのU23で構成されたチーム。レース後のコメントで「楽だった」こんな一言が飛び出す所にも若さが伺える。
「こんちくしょ~」
しかし、良い走りだった。。。
ちなみに本日は、パンク無し&トラブル無し。
プロトンとキャラバン隊の動画です。日本でチームカーを走らせるレースは少ないので、貴重な経験にもなります。大門監督は、こんな事が日常的だそうで・・・・
ホテルに戻ると、いつものようにシマノが洗車場に横付け。そしてBSや梅丹・・・強いチーム順って感じです。学生君チームはうんと後回し。10年前の自分を見ているようで、かわいそう・・・しかしメカニックには、メカニックのツールド北海道があるんです。
それに、チーム所属のメカ達は、仕事が速いから、この順番がYESなのかな。
僕はっていうと、近所の洗車場を予めリサーチしていたので、そこえ直行。
コインを3枚(自腹)入れて、熱湯+洗剤+もう一回熱湯噴射~!!!!
偶然隣接するガススタンドにAISANの中根ジェネラルが給油に。
「ここで洗車してんの~・・・へ~」って感じで見ていた。
僅か5分程で洗車終了。大概洗車場はでかくて、無駄に明るいので、そのままそこで作業を終える。
ホテルに戻ると、やっと学生君達が洗車作業に入っていた。
BSのジンバメカが「今まで何やってたんですか~」
まともに答えてても、つまんないので、「道に迷ってたんだ」なんてね・・・
◆第1ステージリザルト◆
続く予定でしたが・・・少々時間が経過してしまいましたので、ここからは永遠とフォトアルバムです。チームメカニックでないと、撮れない写真もありますので、見てください。
◆ホテル
基本的に立派なホテルに宿泊させていただけます。僕が走った北海道は、民宿ばっかだったんだけど・・・ホテルが大きすぎてスタッフは逆に疲れます。
梅丹の監督として参加の水谷君と、まもなく選手としての終焉を迎えるミッフー。
水谷は、NIPPO時代に一緒に戦った旧友。ミッフーも、一緒に練習、レースを走った。そのころは彼も若くて、僕のほうが勝率良し。引退間際のメモリアルショットに、神が降臨されたようだ。(写真右の後ろに注目)
レース中、自分の写真はほぼ無い。ですから、僕にとって貴重なショット・・・逆光かよ!
TTの直前です。水谷君が井上君と談笑中。昨年まで同じチームでしたから。
皆さんそれぞれの思いと表情です。嵐の前のなんとか・・・
でも極めつけの集中君は↓↓↓↓↓↓
年齢的にピークは、とっくに過ぎているけど熱い男です。彼は集中力で、いろんな物をカバーしているのが、感じられます。スタート直前まで、選手達と少し離れたところで、コンセントレーション中・・・
佐野よ・・・真鍋に学べ
始まりましたね!!
楽しみ!楽しみ!
ひょっとして もうボチボチ国体じゃないですか
今年はメカニックでは無く 名目は監督なんですか?
何か カツリさんの姿を想像すると 現場に戻りたくなってしまいます・・(笑)
かんちゃん、お土産おまっせ~~
kinoさん
国体ですね・・・帰ってきたと思えば、すぐに出発です。
ジャパンカップあたり、どっかで集合しますか?
カラミッチも出動するようなんで、手伝ってやろうかななんて考えてます。